ハワイ時間午前8時54分(日本時間4時24分)、第二波空中攻撃隊が「全軍突撃」を下命した。第二波攻撃隊は小型艦艇や港湾設備、航空基地、既に座礁していた戦艦「ネバダ」への攻撃を行った。
5隻の特殊潜航艇による攻撃は、4隻が撃沈され、1隻が座礁・拿捕されたため成功しなかった。日本では、撃沈された4隻の乗組員8名と、拿捕された艇で戦死した1名を加えた9名が「九軍神」として宣伝された。拿捕された艇の艇長で捕虜となった酒巻和男海軍少尉は「軍神」から外され、捕虜となったことは公表されなかった。
日本時間午前8時30分頃、空中攻撃隊は順次母艦へ帰投した。午前9時頃、日本海軍空母機動部隊は北北西に変針し日本への帰路についた。このとき港湾施設を徹底的に破壊するために第三次攻撃を行う可能性もあったが、三川軍一中将のみが意見具申を行い、山口多聞少将は催促に留まった[6]。
12月16日、第二航空戦隊司令山口多聞少将の指揮下、「飛龍」「蒼龍」と護衛の「利根」「筑摩」及び駆逐艦「谷風」「浦風」がウェーク島攻略支援に向かった(ウェーク島の戦い)。12月23日、機動部隊は瀬戸内海に位置する柱島泊地に帰還し、作戦は終了した。
12月26日、異例の事ながら佐官級による昭和天皇への真珠湾攻撃の軍状奏上が行われ、第一波空中攻撃隊隊長の淵田美津雄中佐は艦船攻撃について、第二波空中攻撃隊隊長の嶋崎重和少佐は航空基地攻撃について奏上した。続く海軍大臣官邸での祝賀会では海軍軍事参議官が参集したり、翌27日に霞ヶ関離宮で成人皇族達と面会するなど真珠湾攻撃の影響の大きさがうかがえる。
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日本軍の奇襲作戦は成功し、アメリカ軍の戦艦8隻を撃沈または損傷により行動不能とする大戦果をあげた。アメリカ太平洋艦隊の戦力低下により、日本軍は西太平洋海域の制海権を確保し、これにより南方作戦を成功裏に終えた。真珠湾攻撃の前にマレー半島での上陸作戦(マレー作戦)が開始されているが、真珠湾攻撃によって日本とアメリカとの戦争は始まったと言って良い。真珠湾攻撃の翌日、フランクリン・ルーズベルト大統領の要請により、アメリカ合衆国議会は日本に対して宣戦布告した。
12月10日、アドルフ・ヒトラーは軍部の反対を押し切ってアメリカへ宣戦布告し、第二次世界大戦はヨーロッパ・北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。当時モンロー主義を色濃く残していたアメリカは、ヨーロッパでの戦争にも日中戦争にも介入には消極的であり、連合国に対する支援はレンドリース法による武器援助に止まっていたが、真珠湾攻撃を受けてアメリカの世論は一気に参戦へと傾いた。
さらに、日米交渉打ち切りの文書を渡す前に攻撃を始めた事、その文書は交渉打ち切りの文書であって開戦や武力行使を示唆する言葉が無かったこと、日本が数日から数週間以上前より戦争準備を進めていたことが明らかなことから、真珠湾攻撃が「卑劣な騙まし討ち」として宣伝されることとなったことも世論に影響した。イギリス首相ウィンストン・チャーチルは、真珠湾攻撃のニュースを聞いて戦争の勝利を確信したと回想している。