連戦連敗を重ね、完全に劣勢に立たされたイタリアでは、元駐英大使王党派のディーノ・グランディ伯爵が、7月24日の大評議会で、ファシスト党指導者ベニート・ムッソリーニの戦争指導責任を追及した。この動きにムッソリーニの娘婿ガレアッツォ・チアーノ外務大臣ら、多くのファシスト党閣僚が賛同。孤立無援となったムッソリーニは翌25日午後、国王エマヌエーレ3世から解任を言い渡され、同時に憲兵隊に逮捕され投獄された。
9月3日、イタリア本土上陸も開始された。同日、ムッソリーニの後任、ピエトロ・バドリオ元帥率いるイタリア新政権は連合国に対し休戦。9月8日、連合国はイタリア降伏を発表した。ローマは直ちにドイツ軍に占領され、国王とバドリオ首相ら新政権は、連合軍占領地域の南部ブリンディジへ脱出した。逮捕後、新政権によってアペニン山脈のグラン・サッソ山のホテルに幽閉されたムッソリーニは同月12日、ヒトラー直々の任命で、ナチス親衛隊オットー・スコルツェニー大佐率いる特殊部隊によって救出された。9月15日、ムッソリーニはイタリア北部で、ヒトラーの保護下ナチス・ドイツの傀儡政権「イタリア社会共和国(サロ政権)」を樹立し、同地域はドイツの支配下に入る。一方、南部のバドリオ政権は10月13日、ドイツへ宣戦布告した。
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イタリア戦線と、その後のヨーロッパ戦線での戦いで、アメリカ陸軍の日系アメリカ人部隊第442連隊戦闘団は、アメリカ軍内における深刻な人種差別を跳ね除け、死傷率314%という大きな犠牲を出しながら、アメリカ陸軍部隊史上最多の勲章を受けるなど歴史に残る大きな活躍を残した。これは戦後、日系アメリカ人の地位向上に大きく貢献した。
また、フランスの降伏後、亡命政権・自由フランスを指揮していたシャルル・ド・ゴールは、ヴィシー政権側につかなかった自由フランス軍を率い、イギリス、アメリカなど連合国軍と協調しつつ、アルジェリア、チュニジアなどのフランス植民地やフランス本国で対独抗戦・レジスタンスを指導した。
さらにこの年、連合国の首脳及び閣僚は1月14日カサブランカ、8月14 - 24日ケベック、10月19 - 30日モスクワ、11月22 - 26日カイロ、11月28 - 12月1日テヘランなど相次いで会議を行なった。今後の戦争の方針、枢軸国への無条件降伏要求、戦後の枢軸国の処理が話し合われた。しかし、連合国同士の思惑の違いも次第に表面化する事になった。